ツアー後記

もう先々週の事になってしまいましたが、久々の大渕博光 with Triánguloのツアーも終わりました。

初日、台風18号の来襲で、クルマ移動の僕らはどうなることかとおもったけど、通行止めになった東名から中央道に切り替えてなんとか無事に大阪へたどり着きました。

大阪 ミスター・ケリーズ
3度目になるケリーズさん。この日はなぜかMCが絶好調だったらしく(Pf奥山・談)、初日ということもあってテンション上がりました。曲も多めにやっちゃった。景気づけの1発て感じで。

倉敷 ペニーレーン
お初です。行ってから知ったけど、B・伊藤が「これまでで最強のを連れて行く」とか宣言してたそうで、そんな期待を裏切る訳にはいかないわけで、どきどきしたけど、皆さんとても喜んでくれました。なんていうか、今回の旅はオープンに音楽を楽しんでくれるお客さんに恵まれてる気がしました。お店のオーナーさんは愛ある厳しさでミュージシャンを見てくれてることが感じられて、気持ちも引き締まりました。

高松 SO NICE
ここもお初。高松はジャズも盛んで、この日も楽器をされてるお客様が多数。そして、オーナーさんも唄うということで1曲、デスペラード歌ってもらったらこれが絶品で。あんなに上手いのにひけらかさないところもまた。激しく刺激を受けました。そうそう、この日は皆既月食だったね。

京都 きらきらひかる
またしてもお初。京都市内でもかなり北の方の、鴨川沿いに在る和食レストラン。1930年代製のコンサートグランドピアノがいい味出してました。新しい出会いもまたあり。自分が唄うことで、というとおこがましいけど、人が繋がっていくのも嬉しいもんです。

四日市 Club Pazzo
最終日。そして来たかった場所。2年以上振りで、お店も広くなってだいぶ様子も変わったとはいえ、ただいま!と言いたくなる場所。名古屋方面で世話になっているフラメンコ舞踊家の高村康子さんにゲスト出演を依頼していたんだけど、選曲が「チルハナウタ」っていう意外さ。和物のバラードをどう踊ってくれるのかなと期待してたら期待以上のものを返してくれました。感謝!
本当は朝まで打ち上がりたかったんだけど、次の日が横濱ジャズプロムナードで朝6時半の出発だったもんだから、残念ながら早めに引き上げました。

たったの五日間だったけど、毎日が違う空気感でライブをし、同じ曲も毎日変化をし、発見をし、素晴らしい音楽にまみれて感動を共にした充実の五日間でした。各地でお世話になった皆さん本当にありがとう。感謝します!LOVE!

大渕博光 with Triánguloツアー!

2014ツアー

いよいよ、久しぶりに、ツアーです!

10月6日(月)大阪 Mr.kelly’s
10月7日(火)倉敷 ペニーレーン
10月8日(水)高松 SO NICE
10月9日(木)京都 きらきらひかる
10月10日(金)四日市 Pazzo

倉敷・高松・京都は初!素敵な出会いが楽しみです、気合い入れてます、是非来て下さい!

LS3のライブ

DSC_0340-1月曜日に終わった「LS3+」ライブ@中目黒・楽屋、月曜だし飛び石連休半ばだし、お客さん集まるかなあ、なんて心配も吹っ飛ぶ満員御礼でした!

いやあ、ありがたい。どうも自分の周りの、信頼するミュージシャンは演奏や人間はとても素敵な人たちばかりなんだけど、一様に宣伝とかそういうことに疎い(笑)。もちろん自分も含めて。

要するに、価値の置き所がね、儲けるとか有名になるとかが価値観の後列なんだね。いいプレイのことしか考えてないもんね。

こないだのライブが、そんな宣伝力もない我々の所へ50数人だけど、満席になり、みんなが楽しそうにしててくれて、そしていつもより少しだけギャラを多くもらい。すごい満足感。身の丈に合うって言葉、遠慮がちな言葉で嫌いな時もあるけど、こういうときに使うべきなのかも。身の丈を大きく見せるんではなくて、本当に身の丈が大きくなればもっと多くの人を楽しませられるはず。

いつも心は音楽やり始めた頃の新鮮さを持ちつつ、お客様へは楽しい時間を過ごしてもらうためのプロ意識も持ってないといけない。いつもそう思ってる。LS3は今、アマチュアの頃の様な新鮮な気持ちを持ちながら、みんなに届く音楽がちょっとずつ出来てきてる、素敵なユニットだと思います。

歌詞集 「また朝が来る」

どれくらい歩いたかな

気が付くとよくここに来てたね

日が落ちるまでずっと

ただ海を見てた

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたのそばに居て

ずっと語り合えたら

二人で見た景色と一緒に

引き潮の遥かかなたへ

あなたを連れてった海に

またいつもの朝が来る

おやすみ、また明日

分け隔て無いあの日々に囲まれ

「サヨナラ」って言葉さえ

明日のためにあった

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたの笑い顔で

温められたなら

握りしめた海の小石を

少し痩せた頬に当てたら

あなたの暖かい手が

そっと触れた気がした

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたのそばに居て

ずっと語り合えたら

二人で見た景色と一緒に

引き潮の遥かかなたへ

あなたを連れてった海に

またいつもの朝が来る

2011年「UNO Y TRES」より「また朝が来る」
作詞/大渕博光 作曲/伊藤寛康
ご購入はこちらから→エル・アルージョ オンラインショップ

このアルバムの制作が始まったのが2011年の2月頃。書き下ろしの新曲も何曲か入れるということで準備をしていたところで、3.11がやってきた。

作曲という、手で触れられるような具体的な物を産まない行為が、全てが波の彼方に消えてしまったあの災害を目にして、さらに虚しいことに感じて全く筆が進まなくなった。

もう新しいアルバムは出せないかもしれない。出している場合じゃないのかもしれない。出しても意味がない。それよりも、音楽の意味が無くなってしまったんじゃないか、と思うぐらいの気持ちになっていった。今思えば、直接的な被害を受けていないのに何を言っているのかともいえるけど。とにかくその時は無力感で一杯だった。

中にはすぐに、音楽の力で元気を届けようと、乗り込んで行く同業者もいたが、自分はできなかった。その時被災地の方々が必要だったのは、目の前の難局をなんとかすること、食べ物や着る物や力や、お金や。音楽だとは思えなかった。大体音楽の力、ってなんなんだ?と。音楽をやるものの思い上がりではないのかと。

一ヶ月も過ぎ、何も作れなくなって、もはやかなり無理な気持ちになっているところへ、ベースの伊藤が「こんなのが出来た。なぜかあっという間に出来た。」と曲を持ってきてくれた。彼も創作意欲を失いかけて、もがいていたようだが、突然浮かんだメロディだったそうだ。

デモテープを聴いてすぐに「あ。そうか」と急にイメージが湧いて、何も考えずに一気に歌詞を書いた。レクイエムのような歌が出来た。

あの災害で衝撃を受けたのは、暮らしていた景色そのものが全て消え去ってしまったことだ。人生にはその人そのものはもちろん、生きているその場所も含まれて居ると思う。例えば、子供の頃駆けたあの河原。初めてキスをしたベンチ。生きている思い出はもちろん、故人との思い出もその場所へ行けば蘇らせることが出来るはずだった。だけど、その景色そのものが全て無くなってしまうなんて。

それでも生き残った者は明日また目を覚まして、どこかで折り合いを付けていくのだろう。自然の前には為す術も無いが、やっぱり生きていくんだろう。

僕らは想像するしかない。歌を作る物は人一倍、全力で想像するしかない。想像して寄り添うくらいしかない。音楽の力で励まそう、なんて今でも思ってない。音楽の力は、きっと聴く人の側にある。音楽は欲しいときにそっとそこに有ればいいと思う。

単車話

PicsArt_14066001625445月に車検切れて、7月末にようやく通してきました。ユーザー車検で。250cc以上は2年に一度車検があるので維持費が大変、とよくいうけど、検定は1,700円なので、250cc以下と比べてもその他保険料や重量税も大差ないし、ほとんど維持費変わらないのですよ。あくまでも自分で車検通しに行くって前提だけど、それも検定自体は10分もかからない流れ作業なんで、変な改造や明らかな整備不良が無い限り簡単に通せます。

 

というわけで無事に走り出せることになり、久しぶりに遠くの峠道に行きたくなりました。自分の場合、ツーリングっていうのは観光名所巡りや旨い物目当てではなくて、いい道探しなのです。景色はもちろん、カーブの曲線、アップダウンのリズム、ブラインドコーナーの先の視界。。誰が作ったか知らないが、道って素晴らしい。道は人間の英知であり、自然との境界線であり、そこをほとんど身体をむき出しにして鉄の馬で走る。たまらんです。

走り出したら、なるべく足を地面につきたくないので、前に能登半島一周したときなんかも、その時は金沢から半島全周を回ってその日のうちに横浜の自宅まで、900kmを走ったわけですが、能登の数ある名所も素通り、食事も昼にパンを一つと、夕方によくわからないラーメンを食べただけで後はずっと単車の上に居ました。能登の道すばらしかったんだもん、止まるなんて勿体ないんだよ。

 

というわけで走るときは単独が多いですねー。

歌詞集 「チルハナウタ -散花歌-」

防人の地の果てに

それぞれの君を想ひ 円陣を組む

君の肩に、君の胸に

黙って付けた印が消えぬように

 

その手に槍を持て

その胸に花を抱け

遠くに聴こえる波の音が

餞(はなむけ)の歌を唄う

サイノ サイノ サイノサイ、サイノ サイノ サイノサイ…

 

待ちわびて手紙書いた

白い便せん、ぽつぽつと染みが浮かぶ

君置いて来た運命(さだめ)の

理不尽さえも、君のためと知る

 

この淡き夢よ叶え

君へと鳥を放て

遙かな風の行く先に

幾ひらの花びら散らそう

サイノ サイノ サイノサイ、サイノ サイノ サイノサイ…

 

2009年「KENO KENO KENO」より「チルハナウタ -散花歌-」 作詞/作曲・大渕博光

 

今日は8月10日。毎年今頃になるとテレビやなにかでは免罪符のように終戦特集が組まれるが、最近は減った気もするね。
僕の亡くなった父親は、大正15年生まれで、終戦の歳に成人を迎えた。
1月が誕生日の父はハタチになると、敗戦も決定的となった夏に宮崎県の沿岸部へ徴兵されたという。
毎日のようにやってくるアメリカ軍のグラマン機を迎撃するためだったというが、軽機関銃くらいしか無い武装では、ただ、やられないようにやり過ごすのが精一杯だったようだ。
幸か不幸か、まもなく敗戦となり本土配属だったこともあり、すぐに引き上げとなったわけで、
そうで無ければ僕は生れていなかったかもしれない。

九州はその宮崎を含め、何カ所かの特攻隊の出撃地があった。
攻撃そのものは全く受け入れられることでは無いし、それを強制した当時の国や軍部は狂気に覆われていたとしか思えない。
だけど、敵の艦に突っ込んで行くときの彼らの気持ちは救いあげてあげたい。卑下や否定はしたくない。
突撃の瞬間、彼らが守ろうと思ったのは国や軍のことではなくて、親や兄弟や最愛の人への想いだけだったんじゃないかと思う。
それはむりやりむごい状況に置かれたんだとしても、守ろうとして叫んだ愛情は真実だと思いたい。

そしていま、僕らがここにこうしていられることに感謝しよう。そう思って書いたこの曲。

だが、残念なことに僕が生れてこのかた、最近のこのキナ臭さは経験したことがなかったレベルだ。特攻隊の彼らが、僕らで最後にしてくれと望んだ未来とは違う方向へ行こうとしている。
どうなっていくのか。