歌詞集 「また朝が来る」

どれくらい歩いたかな

気が付くとよくここに来てたね

日が落ちるまでずっと

ただ海を見てた

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたのそばに居て

ずっと語り合えたら

二人で見た景色と一緒に

引き潮の遥かかなたへ

あなたを連れてった海に

またいつもの朝が来る

 

おやすみ、また明日

分け隔て無いあの日々に囲まれ

「サヨナラ」って言葉さえ

明日のためにあった

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたの笑い顔で

温められたなら

握りしめた海の小石を

少し痩せた頬に当てたら

あなたの暖かい手が

そっと触れた気がした

 

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたのそばに居て

ずっと語り合えたら

二人で見た景色と一緒に

引き潮の遥かかなたへ

あなたを連れてった海に

またいつもの朝が来る

 

2011年「UNO Y TRES」より「また朝が来る」 作詞/大渕博光 作曲/伊藤寛康

 

このアルバムの制作が始まったのが2011年の2月頃。書き下ろしの新曲も何曲か入れるということで準備をしていたところで、3.11がやってきた。

作曲という、手で触れられるような具体的な物を産まない行為が、全てが波の彼方に消えてしまったあの災害を目にして、さらに虚しいことに感じて全く筆が進まなくなった。

もう新しいアルバムは出せないかもしれない。出している場合じゃないのかもしれない。出しても意味がない。それよりも、音楽の意味が無くなってしまったんじゃないか、と思うぐらいの気持ちになっていった。今思えば、直接的な被害を受けていないのに何を言っているのかともいえるけど。とにかくその時は無力感で一杯だった。

中にはすぐに、音楽の力で元気を届けようと、乗り込んで行く同業者もいたが、自分はできなかった。その時被災地の方々が必要だったのは、目の前の難局をなんとかすること、食べ物や着る物や力や、お金や。音楽だとは思えなかった。大体音楽の力、ってなんなんだ?と。音楽をやるものの思い上がりではないのかと。

一ヶ月も過ぎ、何も作れなくなって、もはやかなり無理な気持ちになっているところへ、ベースの伊藤が「こんなのが出来た。なぜかあっという間に出来た。」と曲を持ってきてくれた。彼も創作意欲を失いかけて、もがいていたようだが、突然浮かんだメロディだったそうだ。

デモテープを聴いてすぐに「あ。そうか」と急にイメージが湧いて、何も考えずに一気に歌詞を書いた。レクイエムのような歌が出来た。

あの災害で衝撃を受けたのは、暮らしていた景色そのものが全て消え去ってしまったことだ。人生にはその人そのものはもちろん、生きているその場所も含まれて居ると思う。例えば、子供の頃駆けたあの河原。初めてキスをしたベンチ。生きている思い出はもちろん、故人との思い出もその場所へ行けば蘇らせることが出来るはずだった。だけど、その景色そのものが全て無くなってしまうなんて。

それでも生き残った者は明日また目を覚まして、どこかで折り合いを付けていくのだろう。自然の前には為す術も無いが、やっぱり生きていくんだろう。

僕らは想像するしかない。歌を作る物は人一倍、全力で想像するしかない。想像して寄り添うくらいしかない。音楽の力で励まそう、なんて今でも思ってない。音楽の力は、きっと聴く人の側にある。音楽は欲しいときにそっとそこに有ればいいと思う。

歌詞集 「チルハナウタ -散花歌-」

防人の地の果てに

それぞれの君を想ひ 円陣を組む

君の肩に、君の胸に

黙って付けた印が消えぬように

 

その手に槍を持て

その胸に花を抱け

遠くに聴こえる波の音が

餞(はなむけ)の歌を唄う

サイノ サイノ サイノサイ、サイノ サイノ サイノサイ…

 

待ちわびて手紙書いた

白い便せん、ぽつぽつと染みが浮かぶ

君置いて来た運命(さだめ)の

理不尽さえも、君のためと知る

 

この淡き夢よ叶え

君へと鳥を放て

遙かな風の行く先に

幾ひらの花びら散らそう

サイノ サイノ サイノサイ、サイノ サイノ サイノサイ…

 

2009年「KENO KENO KENO」より「チルハナウタ -散花歌-」 作詞/作曲・大渕博光

 

今日は8月10日。毎年今頃になるとテレビやなにかでは免罪符のように終戦特集が組まれるが、最近は減った気もするね。
僕の亡くなった父親は、大正15年生まれで、終戦の歳に成人を迎えた。
1月が誕生日の父はハタチになると、敗戦も決定的となった夏に宮崎県の沿岸部へ徴兵されたという。
毎日のようにやってくるアメリカ軍のグラマン機を迎撃するためだったというが、軽機関銃くらいしか無い武装では、ただ、やられないようにやり過ごすのが精一杯だったようだ。
幸か不幸か、まもなく敗戦となり本土配属だったこともあり、すぐに引き上げとなったわけで、
そうで無ければ僕は生れていなかったかもしれない。

九州はその宮崎を含め、何カ所かの特攻隊の出撃地があった。
攻撃そのものは全く受け入れられることでは無いし、それを強制した当時の国や軍部は狂気に覆われていたとしか思えない。
だけど、敵の艦に突っ込んで行くときの彼らの気持ちは救いあげてあげたい。卑下や否定はしたくない。
突撃の瞬間、彼らが守ろうと思ったのは国や軍のことではなくて、親や兄弟や最愛の人への想いだけだったんじゃないかと思う。
それはむりやりむごい状況に置かれたんだとしても、守ろうとして叫んだ愛情は真実だと思いたい。

そしていま、僕らがここにこうしていられることに感謝しよう。そう思って書いたこの曲。

だが、残念なことに僕が生れてこのかた、最近のこのキナ臭さは経験したことがなかったレベルだ。特攻隊の彼らが、僕らで最後にしてくれと望んだ未来とは違う方向へ行こうとしている。
どうなっていくのか。

映画「ジプシーフラメンコ」

ジプシーフラメンコリサイズ映画「ジプシーフラメンコ」の試写会に行きました。

カルメン・アマジャが去年で生誕100年だったそうで、それを記念しての公演を作るに居たるドキュメンタリー映画。姪のウイニーやその娘カリメが中心人物になります。

生誕100年、調べたら俳優の故・森繁久弥さんがそうなのね。

踊りを見たい衆には物足りないであろう、淡々としたドキュメント。でも、とても引きつけられる映画でした。

芸に対して純粋に対峙する三世代の表情に、あ、これがプーロってことなんだなって思いました。

プーロって踊りや音楽のスタイルではなくて、ヒターノかどうかでもなくて、その芸に嘘をつかずに取り組んでるかどうか。よく、プーロとモデルノで比較して言うけど、モデルノの対比語はアンティグアで。プーロに関して言えばプーロかプーロでないか、しかないよね。

うーん、逆に芸の世界においてプーロでないものなんて存在できるのか?あったとしても価値はないわなあ。

あ、映画はそんな堅苦しいことは全然出てこないのでご安心を。
ドキュメントとはいえ、どうやって撮ったのかと思うような撮影に際して余計な構えのない登場人物達、只々いい物を作ろうとするアーティスト達の淡々とした、でもときおりニヤッとさせるやりとり、4世代目を担おうとする子供の無邪気だけど時折見せるハッとするような芸人の表情。

三々五々集まって、時間を気にせず遊びみたいに音を出し始めて、ああ、こんな風に音楽や踊りが作れたら楽しいだろうな!って場面が一番好きででした。

たぶんフラメンコと関係無い人でも見れば何かを感じ取れると思います。お勧めします!

 

 

8月9日(土)~※上映約1ヶ月
会場
渋谷ユーロスペース
出演
カリメ・アマジャ、メルセデス・アマジャ“ラ・ウィニー”、ファニート・マンサーノ
料金
前売¥1,500 当日¥1,800

Flamencoは新しい。

tresflamencos今年に入ってパコデルシアが亡くなって、それまにでも大御所と言われるアルティスタの方々が次々の亡くなって、一つの時代が終わった、という風に言われてることもあって、Flamencoの歴史について調べていたら気がついた。

フラメンコっていう呼び方で世に現れたのは19世紀後期。これってBluesから始まるJazzの歴史と変わらない。アメリカのミュージカル音楽に始まるPop musicともさして変わらない。

パコが革命を始めたころ、すでにビートルズは革命の終盤にさしかかっていた。

つまり、民族音楽、伝統音楽と考えられがちなFlamencoは実は音楽の歴史の中ではかなりの新参者だということ。

Flamencoにおける初めての革命者ともいえるパコといっても、自分と10数歳しか違わない。

なのにFlamenco界(日本に限定かもしれないけど)には、Flamencoは古いものほど良く、パコ以降の変化を良しとしない雰囲気がある。純粋種だけが価値が有る、という雰囲気もある。

でも、Flamenco歴史の浅さからいっても、JazzやPops同様にこの急速な変化は妥当なことだと思うし、色んなものを取り込み変化するエネルギーの残っているジャンルだと思う。

それを伝統音楽芸術の枠に閉じ込めようとするのは土台無理があるように思う。能や歌舞伎と同じに思っては間違える。歴史が浅すぎるのだ。

よく言われる、いわゆる「血が違う」の問題も、100年ほどの歴史しかないのだからせいぜい3世代分くらいなわけで、「3代住めば江戸っ子」というのと同じくらいに、血が、DNAがどうのということに、さほどの説得力は無いように思う。「何かが違う」「追いつけない」のはたぶん生活習慣や価値観、気質の違いからくるものだと思う。

「ヒターノが最高」問題も。BluesやJazzも最初のころは「黒人が最高」だった。それが徐々に白人に広まり幾度の革命を経て、もちろん日本にも伝わり、今では世界各地でそれぞれの論法で奏でられ、お互いの価値観を認め合っている。

「黒人」の枠に閉じ込めていたらこんな発展はなかったろう。そしてその枠をこじ開けたのはその音楽のパワーそのものだと思う。国や民族を越えて伝わる力の有る音楽は、閉じ込めようが無いんだ。

Flamencoもきっとそう。閉じ込めるのはやめようぜ!

恋するBAILA BAILA

2014-05-23 11.53.47バービーボーイズの杏子さんのニューシングルが発売されました! ヴォイスで参加してます。ご機嫌なラテンチューンで、オケをもらったときにすごくいいグルーブだったので、どなたの演奏か聞いてみたらお馴染みのラテンマエストロ揃いで納得。 杏子さんは2年前のレコーディング以来、ラジオやテレビのライブでコーラスとかに誘ってもらい、お世話になってます。ホンと気持ちのいい方です。2014-05-23 11.47.38

芸人で行こう!

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めちゃめちゃ久しぶりにフラメンコの公演を見に行きました。前に何見たか覚えてないくらい久しぶり・・
「エバ・ジェルバブエナ ~雨~」

フラメンコ界では言わずとしれた大スター、現代舞踊の要素を濃く取り入れた芸術的な舞台で世界的に高い評価。

んー・・でもいかにもコンテンポラリーな奇異な動きや思わせぶりな演出、超絶的な足技にはすぐ飽きが来てしまった。おそらくとても沢山の表現したいことがあるんだろうし、そこに感じ入れる人には感動モノだったんだと思うけど。

エバが「一番大切なのは表現したいことがある、ことと表現する方法を持つこと」って言ってて、確かにそう思うんだけども、思うに「表現したいこと」が先行したものはいい結果に繋がらないと思ってる。自分も曲を作る立場にあるけれども、言いたいことが先行するのを意識的に避けている。在るのは状況だけで、そこにどう刃をを入れるか、が表現だと思っている。

自分が楽しめたのはそんな芸術的な空間で、歌い手の3人のおっさんたちが羽目を外さんばかりに盛り上がってるところだった。
あれは芸術ではなくて「芸」だな。芸と芸術に境界線は無い、と思っているけど、「これが芸術です」ていう提示のされ方をするものには余り反応しないみたい。
芸人は時には自分の言いたいことを捨ててもいい結果・・客を楽しませる・・ことを優先するのだよ。

自分も「アーティスト」とか「芸術家」と呼ばれるより「歌手」「芸人」て呼ばれるの方が嬉しいな!