風鈴だもの。

創作に行き詰まるといつも自分の中に何も無いのを感じて苦しんだり、普段でも「この人、中身の無いなあ」とバカにしてみたり、要するに自分のやりたいことや、表現したいモノは自分の中に在る、と思ってたけど。

先ほど、日高屋で冷やし中華を食べてるとき突然、案外そうでもなくて、外側にあるのかなと思えてきた。それらは自分の周りの、外側にあって、自分は何かの変換装置なだけで、例えば自分は唄う装置で、画家と呼ばれる人は描く装置、そんなクリエイティブな仕事でなくても、日々の物言いであったり、人との接し方であったり、それは過去から現在に至る、自分の周りにあったもの達が身体の中を通って変換された結果なんではないかしら。

そしたら自分のことが、風になびく風鈴ように思えてきた。みんなも風鈴だとすると色んなのがあって、大きな風に割れ鐘の様に鳴る物もあれば、微細な風に繊細に鳴るものもあるよね。ある特定の風にしかなびかないとか。

なんていうか、表現ややりたいことが自分の中にあると思うと、辛くなるときあるし、そもそも思い上がりなのかもしれないし。自分はいい音で鳴るように日頃から鈴を磨いて、良い風に敏感にそよげるように、あれなんだっけ、風鈴に付いてる短冊みたなやつ、あれを準備しておこうと思います。

 

単車話

PicsArt_14066001625445月に車検切れて、7月末にようやく通してきました。ユーザー車検で。250cc以上は2年に一度車検があるので維持費が大変、とよくいうけど、検定は1,700円なので、250cc以下と比べてもその他保険料や重量税も大差ないし、ほとんど維持費変わらないのですよ。あくまでも自分で車検通しに行くって前提だけど、それも検定自体は10分もかからない流れ作業なんで、変な改造や明らかな整備不良が無い限り簡単に通せます。

 

というわけで無事に走り出せることになり、久しぶりに遠くの峠道に行きたくなりました。自分の場合、ツーリングっていうのは観光名所巡りや旨い物目当てではなくて、いい道探しなのです。景色はもちろん、カーブの曲線、アップダウンのリズム、ブラインドコーナーの先の視界。。誰が作ったか知らないが、道って素晴らしい。道は人間の英知であり、自然との境界線であり、そこをほとんど身体をむき出しにして鉄の馬で走る。たまらんです。

走り出したら、なるべく足を地面につきたくないので、前に能登半島一周したときなんかも、その時は金沢から半島全周を回ってその日のうちに横浜の自宅まで、900kmを走ったわけですが、能登の数ある名所も素通り、食事も昼にパンを一つと、夕方によくわからないラーメンを食べただけで後はずっと単車の上に居ました。能登の道すばらしかったんだもん、止まるなんて勿体ないんだよ。

 

というわけで走るときは単独が多いですねー。

映画「ジプシーフラメンコ」

ジプシーフラメンコリサイズ映画「ジプシーフラメンコ」の試写会に行きました。

カルメン・アマジャが去年で生誕100年だったそうで、それを記念しての公演を作るに居たるドキュメンタリー映画。姪のウイニーやその娘カリメが中心人物になります。

生誕100年、調べたら俳優の故・森繁久弥さんがそうなのね。

踊りを見たい衆には物足りないであろう、淡々としたドキュメント。でも、とても引きつけられる映画でした。

芸に対して純粋に対峙する三世代の表情に、あ、これがプーロってことなんだなって思いました。

プーロって踊りや音楽のスタイルではなくて、ヒターノかどうかでもなくて、その芸に嘘をつかずに取り組んでるかどうか。よく、プーロとモデルノで比較して言うけど、モデルノの対比語はアンティグアで。プーロに関して言えばプーロかプーロでないか、しかないよね。

うーん、逆に芸の世界においてプーロでないものなんて存在できるのか?あったとしても価値はないわなあ。

あ、映画はそんな堅苦しいことは全然出てこないのでご安心を。
ドキュメントとはいえ、どうやって撮ったのかと思うような撮影に際して余計な構えのない登場人物達、只々いい物を作ろうとするアーティスト達の淡々とした、でもときおりニヤッとさせるやりとり、4世代目を担おうとする子供の無邪気だけど時折見せるハッとするような芸人の表情。

三々五々集まって、時間を気にせず遊びみたいに音を出し始めて、ああ、こんな風に音楽や踊りが作れたら楽しいだろうな!って場面が一番好きででした。

たぶんフラメンコと関係無い人でも見れば何かを感じ取れると思います。お勧めします!

 

 

8月9日(土)~※上映約1ヶ月
会場
渋谷ユーロスペース
出演
カリメ・アマジャ、メルセデス・アマジャ“ラ・ウィニー”、ファニート・マンサーノ
料金
前売¥1,500 当日¥1,800