小田和正さん「約束」からのプロ論

WS000002毎年クリスマスイブの夜に放送される小田和正さんのコンサート、観れば毎回何かしらの思いを新たにされるんだけど、夕べのはなんといっても、あの御年になって、あの実力を持ちながら、この放送の為に夏から何度も何度も練習とリハーサルを重ねてたってこと。2台のギターだけで弾き語るだけなのに。

別にさらっと唄っても誰もがため息をつく声を持ってるんだから、雰囲気だけで唄ったって皆お金を払うと思うんだけど、カバーする曲の歌詞の1語1語にしつこく注意を払い、理解し、素晴らしく正確なリズムと音程を与え、完璧なハーモニーを重ねる練習を、本人がアマチュア時代以来だと言うくらい毎日続けたって聞いて、単純に感動した。

ちょっと前に見た、自動車整備の達人のドキュメンタリーで、ここまでやっとけばお客は100パーセント満足するけど、そこからさらにお客が気がつかない精度まで整備するのが本当のプロだって言ってたけど、通じるねえ。

誰だか忘れたけど、とある大物ミュージシャンが、アマチュアの頃はただただ演奏するのが楽しくてやる。その次は誰か(お客さん)を喜ばす為に演る。ここがプロとして最低限持つべきモチベーション。だけど、その先にはまた、自分自身を喜ばす為に演るっていう段階が来るんだ。って言ってた。アマチュアの頃に似てるけど、もはや観客には気がつかないくらいのレベルまで突き詰めて得られる喜びが、見えないバイブレーションになって観客に伝わり、その観客の喜びのエネルギーがまた自分にフィードバックされて会場全体でグルーブするんだって。そこまで行くと本当に演奏することが心底楽しくなるって。

もはや「神」と呼ばれる領域でそこまで行けるのか?って思うけど、それこそ自分はまあこの辺でいいや、って思ったら即終わるなぁ!

これまでの、自分なりのプロ論、は「自分は”お金もらって当然のことをしてる”っていう自覚と自信と責任感の元になす行為である」だったけど、また一つ思いが深まりました。

自分の中のスタンダード

先日FBに、

自分は多作にはほど遠く、そもそもそんなに言いたいことがある方じゃないので、
創作に当たってはホントに産みの苦しみにのたうちまわり、捻り出すのが精一杯なのです。
人前に出るのも好きではないし。
なのになんでわざわざ好き好んでそんなことするんだろうね、そこが自分に対する最大の謎。

ていう投稿をしました。

ご無沙汰している、尊敬するミュージシャンの方から思わぬ嬉しいメッセージをもらったりして、ありがたいなあと思った訳だけど。

で、思い出したのが、The Policeの頃から敬愛してやまないStingが、最近までの10年程、全く曲が書けなくなったって言ってたこと。Stingさえそうなのかー。

まあ、偉大なStingと自分を比べるのもなんだけど、もう一つStingの言葉で

「15年も前に作った曲でも、夕べ書き上げたかの様な気持ちで唄うのが自分の仕事だ」

って言うのを思い出した。その言葉を聞いたのはもう10年くらいになるけど、てことはその頃からStingは曲作りに行き詰まってたのかな、それでそういう言葉が・・・?

にしても、当時その言葉にはいたく感動したのを思い出した。

そうか。自分も「僕のバラは君のこころ」は15年前、「ミラメ」は11年前に書いた曲だけど、今でもちっとも飽きないし、唄うときは初めて唄うような、緊張と、瑞々しい気持ちになる。

スタンダードって呼ばれる曲は、みんながそういう風に思える曲なんだなきっと。自分がそういうスタンダードを書くのは夢だけど、自分の曲で自分自身がそのように感じる曲は、自分にとってのスタンダードって呼んでもいいんじゃないかな。

曲を量産するのは出来ないけど、唄う瞬間に自分自身がいつも新鮮に感じる、そういう歌を一つずつ作っていけばいいんだね。

勝ったことが無い

思えば人生で一度も「勝った」事が無い。

受賞歴もなければ、勝ち抜いたと実感するほどの受験も経験せず、

入れる会社に入り、平凡な実績を積むに過ぎず、

流れのままにフラメンコの仕事を始め、

ここでも賞や栄光とは無縁で、

目の前の事をなんとかこなしてきた。

 

もちろん頑張って来た自覚はある、

けれど周りにはもっともっと頑張って来た人が沢山いて、

勝ったことがないのは、「勝負」を避けてきたからだけなんじゃないかと

思うと恐ろしい気持ちになる。

 

でも、勝たなくても得たものはある。

唯一の自信の源であるこの声と、

それがいいと言ってくれる仲間やファンの人達と、

勝ち負けと関係のないところで愛してくれる身の周りの人。

 

これから勝負することってあるのかな。

しないと先へ進めないところに来てるのかもしれない気もする。

どうなんだろうね。

8月6日

今日も平和な1日だった。

自分の周りはね。

永遠なんていう言葉も、とうの昔に信じなくなったけど、

守り通さなきゃいけないものもあるね。

風鈴だもの。

創作に行き詰まるといつも自分の中に何も無いのを感じて苦しんだり、普段でも「この人、中身の無いなあ」とバカにしてみたり、要するに自分のやりたいことや、表現したいモノは自分の中に在る、と思ってたけど。

先ほど、日高屋で冷やし中華を食べてるとき突然、案外そうでもなくて、外側にあるのかなと思えてきた。それらは自分の周りの、外側にあって、自分は何かの変換装置なだけで、例えば自分は唄う装置で、画家と呼ばれる人は描く装置、そんなクリエイティブな仕事でなくても、日々の物言いであったり、人との接し方であったり、それは過去から現在に至る、自分の周りにあったもの達が身体の中を通って変換された結果なんではないかしら。

そしたら自分のことが、風になびく風鈴ように思えてきた。みんなも風鈴だとすると色んなのがあって、大きな風に割れ鐘の様に鳴る物もあれば、微細な風に繊細に鳴るものもあるよね。ある特定の風にしかなびかないとか。

なんていうか、表現ややりたいことが自分の中にあると思うと、辛くなるときあるし、そもそも思い上がりなのかもしれないし。自分はいい音で鳴るように日頃から鈴を磨いて、良い風に敏感にそよげるように、あれなんだっけ、風鈴に付いてる短冊みたなやつ、あれを準備しておこうと思います。

 

単車話

PicsArt_14066001625445月に車検切れて、7月末にようやく通してきました。ユーザー車検で。250cc以上は2年に一度車検があるので維持費が大変、とよくいうけど、検定は1,700円なので、250cc以下と比べてもその他保険料や重量税も大差ないし、ほとんど維持費変わらないのですよ。あくまでも自分で車検通しに行くって前提だけど、それも検定自体は10分もかからない流れ作業なんで、変な改造や明らかな整備不良が無い限り簡単に通せます。

 

というわけで無事に走り出せることになり、久しぶりに遠くの峠道に行きたくなりました。自分の場合、ツーリングっていうのは観光名所巡りや旨い物目当てではなくて、いい道探しなのです。景色はもちろん、カーブの曲線、アップダウンのリズム、ブラインドコーナーの先の視界。。誰が作ったか知らないが、道って素晴らしい。道は人間の英知であり、自然との境界線であり、そこをほとんど身体をむき出しにして鉄の馬で走る。たまらんです。

走り出したら、なるべく足を地面につきたくないので、前に能登半島一周したときなんかも、その時は金沢から半島全周を回ってその日のうちに横浜の自宅まで、900kmを走ったわけですが、能登の数ある名所も素通り、食事も昼にパンを一つと、夕方によくわからないラーメンを食べただけで後はずっと単車の上に居ました。能登の道すばらしかったんだもん、止まるなんて勿体ないんだよ。

 

というわけで走るときは単独が多いですねー。