風鈴だもの。

創作に行き詰まるといつも自分の中に何も無いのを感じて苦しんだり、普段でも「この人、中身の無いなあ」とバカにしてみたり、要するに自分のやりたいことや、表現したいモノは自分の中に在る、と思ってたけど。

先ほど、日高屋で冷やし中華を食べてるとき突然、案外そうでもなくて、外側にあるのかなと思えてきた。それらは自分の周りの、外側にあって、自分は何かの変換装置なだけで、例えば自分は唄う装置で、画家と呼ばれる人は描く装置、そんなクリエイティブな仕事でなくても、日々の物言いであったり、人との接し方であったり、それは過去から現在に至る、自分の周りにあったもの達が身体の中を通って変換された結果なんではないかしら。

そしたら自分のことが、風になびく風鈴ように思えてきた。みんなも風鈴だとすると色んなのがあって、大きな風に割れ鐘の様に鳴る物もあれば、微細な風に繊細に鳴るものもあるよね。ある特定の風にしかなびかないとか。

なんていうか、表現ややりたいことが自分の中にあると思うと、辛くなるときあるし、そもそも思い上がりなのかもしれないし。自分はいい音で鳴るように日頃から鈴を磨いて、良い風に敏感にそよげるように、あれなんだっけ、風鈴に付いてる短冊みたなやつ、あれを準備しておこうと思います。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA