Flamencoは新しい。

tresflamencos今年に入ってパコデルシアが亡くなって、それまにでも大御所と言われるアルティスタの方々が次々の亡くなって、一つの時代が終わった、という風に言われてることもあって、Flamencoの歴史について調べていたら気がついた。

フラメンコっていう呼び方で世に現れたのは19世紀後期。これってBluesから始まるJazzの歴史と変わらない。アメリカのミュージカル音楽に始まるPop musicともさして変わらない。

パコが革命を始めたころ、すでにビートルズは革命の終盤にさしかかっていた。

つまり、民族音楽、伝統音楽と考えられがちなFlamencoは実は音楽の歴史の中ではかなりの新参者だということ。

Flamencoにおける初めての革命者ともいえるパコといっても、自分と10数歳しか違わない。

なのにFlamenco界(日本に限定かもしれないけど)には、Flamencoは古いものほど良く、パコ以降の変化を良しとしない雰囲気がある。純粋種だけが価値が有る、という雰囲気もある。

でも、Flamenco歴史の浅さからいっても、JazzやPops同様にこの急速な変化は妥当なことだと思うし、色んなものを取り込み変化するエネルギーの残っているジャンルだと思う。

それを伝統音楽芸術の枠に閉じ込めようとするのは土台無理があるように思う。能や歌舞伎と同じに思っては間違える。歴史が浅すぎるのだ。

よく言われる、いわゆる「血が違う」の問題も、100年ほどの歴史しかないのだからせいぜい3世代分くらいなわけで、「3代住めば江戸っ子」というのと同じくらいに、血が、DNAがどうのということに、さほどの説得力は無いように思う。「何かが違う」「追いつけない」のはたぶん生活習慣や価値観、気質の違いからくるものだと思う。

「ヒターノが最高」問題も。BluesやJazzも最初のころは「黒人が最高」だった。それが徐々に白人に広まり幾度の革命を経て、もちろん日本にも伝わり、今では世界各地でそれぞれの論法で奏でられ、お互いの価値観を認め合っている。

「黒人」の枠に閉じ込めていたらこんな発展はなかったろう。そしてその枠をこじ開けたのはその音楽のパワーそのものだと思う。国や民族を越えて伝わる力の有る音楽は、閉じ込めようが無いんだ。

Flamencoもきっとそう。閉じ込めるのはやめようぜ!

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