歌詞集「Mirame」

MIRAME

祈りの城、まだ見たことのない
言葉と想い少しずつまじり合って
消えろ夢など 溶けて飛んでった

誰かが唄う 古い詩人の歌
耳に残って 行き先を見失いそう
僕のつぶやき 君のメロディ

Mirame…僕を見つめてよ
Mirame…僕を認めてよ
Mirame…Ay! Mirame.

祈りの城 まだ見つからない
海に沈んだ りんごを探しに行かなければ
子供のように 時間も気にしない

何を話そう なんて決めてない
言葉こぼれて はじめて気がつくんだ
君は太陽 そして僕は月

Mirame…僕を見つめてよ
Mirame…僕を認めてよ
Mirame…Ay! Mirame.

もうなにもいらない もうなにも欲しくはない
闇を束ねて 差し出すから
光集め 数千倍で 照らしてくれ

祈りの城 まだ見つからない
海に沈んだ りんごを探しに行かなければ
子供のように 時間も気にしない

Mirame…僕を見つめてよ
Mirame…僕を認めてよ
Mirame…Ay! Mirame.

「Este Amor」より(King record 2005)

 

10年間、ライブではほぼ毎回唄っている大切な曲。

最初にサビの「ミラミラミラ、ミーラ、ミラメ」っていうのが浮かんできた。
そのあとに「僕を見つめてよ」「僕を認めてよ」ていうのが繋がってきた。

今思えばなんとも辛気くさい言葉だけど、これが出てきた時、唄いながら涙が出てきた。

頭の循環コードができあがって、大まかなメロディーが出来てきた。この頃の作曲ではインチキスペイン語なめちゃくちゃな言葉でメロディを唄ってから、その雰囲気に近い日本語を探す方法をとってた。「祈りの城」なんてそもそも何のことか判らないよね。最初に「Lilo lilo lilo」って唄っていたので、意味よりも音感優先で。

そうそう、残りの歌詞のほとんどはその頃夏によく行ってた、バイクキャンプツーリングのテントの中だったよ。色々言葉遊びをしながら。その状況も面白い。

その頃の作詞のもう一つの方法は、まず一行だけ考えて、次にそこから連想してまた1行、という方法で。結果すごく散文的になるんだけど、全く自由な発想になれるのと、面白い事に読み返してみると、見事に自分の心象を現してる気がした。

ああ、思っても無かったけど自分の奥にはこういう感情があるかも、とか。精神分析医のカルテのような。だから涙が出たりするんかな。

「君は太陽、そして僕が月」っていうのが出てきた時は自分でも驚いた。そしてこれは傑作かもと思った。唄いながらまた涙した。

僕は照らされるばかりでいていいのかっていうネガティブなイメージもあって、好きなフレーズだけど唄う度に胸が締め付けられるような気持ちにもなってた。

今では、夜道を照らす月明かりにもなれると思えば、悪くないな!と思ってます。

歌詞集 「また朝が来る」

どれくらい歩いたかな

気が付くとよくここに来てたね

日が落ちるまでずっと

ただ海を見てた

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたのそばに居て

ずっと語り合えたら

二人で見た景色と一緒に

引き潮の遥かかなたへ

あなたを連れてった海に

またいつもの朝が来る

 

おやすみ、また明日

分け隔て無いあの日々に囲まれ

「サヨナラ」って言葉さえ

明日のためにあった

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたの笑い顔で

温められたなら

握りしめた海の小石を

少し痩せた頬に当てたら

あなたの暖かい手が

そっと触れた気がした

 

誰かのせいじゃない

誰も責められない

ただまたあなたのそばに居て

ずっと語り合えたら

二人で見た景色と一緒に

引き潮の遥かかなたへ

あなたを連れてった海に

またいつもの朝が来る

 

2011年「UNO Y TRES」より「また朝が来る」 作詞/大渕博光 作曲/伊藤寛康

 

このアルバムの制作が始まったのが2011年の2月頃。書き下ろしの新曲も何曲か入れるということで準備をしていたところで、3.11がやってきた。

作曲という、手で触れられるような具体的な物を産まない行為が、全てが波の彼方に消えてしまったあの災害を目にして、さらに虚しいことに感じて全く筆が進まなくなった。

もう新しいアルバムは出せないかもしれない。出している場合じゃないのかもしれない。出しても意味がない。それよりも、音楽の意味が無くなってしまったんじゃないか、と思うぐらいの気持ちになっていった。今思えば、直接的な被害を受けていないのに何を言っているのかともいえるけど。とにかくその時は無力感で一杯だった。

中にはすぐに、音楽の力で元気を届けようと、乗り込んで行く同業者もいたが、自分はできなかった。その時被災地の方々が必要だったのは、目の前の難局をなんとかすること、食べ物や着る物や力や、お金や。音楽だとは思えなかった。大体音楽の力、ってなんなんだ?と。音楽をやるものの思い上がりではないのかと。

一ヶ月も過ぎ、何も作れなくなって、もはやかなり無理な気持ちになっているところへ、ベースの伊藤が「こんなのが出来た。なぜかあっという間に出来た。」と曲を持ってきてくれた。彼も創作意欲を失いかけて、もがいていたようだが、突然浮かんだメロディだったそうだ。

デモテープを聴いてすぐに「あ。そうか」と急にイメージが湧いて、何も考えずに一気に歌詞を書いた。レクイエムのような歌が出来た。

あの災害で衝撃を受けたのは、暮らしていた景色そのものが全て消え去ってしまったことだ。人生にはその人そのものはもちろん、生きているその場所も含まれて居ると思う。例えば、子供の頃駆けたあの河原。初めてキスをしたベンチ。生きている思い出はもちろん、故人との思い出もその場所へ行けば蘇らせることが出来るはずだった。だけど、その景色そのものが全て無くなってしまうなんて。

それでも生き残った者は明日また目を覚まして、どこかで折り合いを付けていくのだろう。自然の前には為す術も無いが、やっぱり生きていくんだろう。

僕らは想像するしかない。歌を作る物は人一倍、全力で想像するしかない。想像して寄り添うくらいしかない。音楽の力で励まそう、なんて今でも思ってない。音楽の力は、きっと聴く人の側にある。音楽は欲しいときにそっとそこに有ればいいと思う。

歌詞集 「チルハナウタ -散花歌-」

防人の地の果てに

それぞれの君を想ひ 円陣を組む

君の肩に、君の胸に

黙って付けた印が消えぬように

 

その手に槍を持て

その胸に花を抱け

遠くに聴こえる波の音が

餞(はなむけ)の歌を唄う

サイノ サイノ サイノサイ、サイノ サイノ サイノサイ…

 

待ちわびて手紙書いた

白い便せん、ぽつぽつと染みが浮かぶ

君置いて来た運命(さだめ)の

理不尽さえも、君のためと知る

 

この淡き夢よ叶え

君へと鳥を放て

遙かな風の行く先に

幾ひらの花びら散らそう

サイノ サイノ サイノサイ、サイノ サイノ サイノサイ…

 

2009年「KENO KENO KENO」より「チルハナウタ -散花歌-」 作詞/作曲・大渕博光

 

今日は8月10日。毎年今頃になるとテレビやなにかでは免罪符のように終戦特集が組まれるが、最近は減った気もするね。
僕の亡くなった父親は、大正15年生まれで、終戦の歳に成人を迎えた。
1月が誕生日の父はハタチになると、敗戦も決定的となった夏に宮崎県の沿岸部へ徴兵されたという。
毎日のようにやってくるアメリカ軍のグラマン機を迎撃するためだったというが、軽機関銃くらいしか無い武装では、ただ、やられないようにやり過ごすのが精一杯だったようだ。
幸か不幸か、まもなく敗戦となり本土配属だったこともあり、すぐに引き上げとなったわけで、
そうで無ければ僕は生れていなかったかもしれない。

九州はその宮崎を含め、何カ所かの特攻隊の出撃地があった。
攻撃そのものは全く受け入れられることでは無いし、それを強制した当時の国や軍部は狂気に覆われていたとしか思えない。
だけど、敵の艦に突っ込んで行くときの彼らの気持ちは救いあげてあげたい。卑下や否定はしたくない。
突撃の瞬間、彼らが守ろうと思ったのは国や軍のことではなくて、親や兄弟や最愛の人への想いだけだったんじゃないかと思う。
それはむりやりむごい状況に置かれたんだとしても、守ろうとして叫んだ愛情は真実だと思いたい。

そしていま、僕らがここにこうしていられることに感謝しよう。そう思って書いたこの曲。

だが、残念なことに僕が生れてこのかた、最近のこのキナ臭さは経験したことがなかったレベルだ。特攻隊の彼らが、僕らで最後にしてくれと望んだ未来とは違う方向へ行こうとしている。
どうなっていくのか。