7年前に

ライブでマラゲーニャを唄っている動画を発見。

おそらくライブでカンテソロを依頼されるとほとんどこればっかり唄ってきたけど、7年前はさぞ未熟だっただろうと思いながら聴いてみた。

フラメンコとしてのディテールに欠けてはいるけど、気持ちがストレートで鋭いテンションでぐいぐい伝わってくる感じ。

なにしろ伸びと抜けの良い声。

あ、忘れてたけどこれが自分の歌だ、自分の表現だ、と思った。

”フラメンコらしい歌”を考えながらここ数年やってきたわけだけど。

あのころは”らしくない”ことに少しばかり引け目を感じていたけれど。

ひょっとして今のほうが囚われの身になっているのかも。

我ながら軽くショックを受けています。

だよねー

Facebookをライブ告知用のオフィシャルページだけにして、個人のアカウントをクローズしてから数カ月経ちました。

最初はやっぱり皆と疎遠になったりとかするのかなぁと、少しだけ危惧してたけど、、全く影響無し。

というか、これまで「Facebook辞めたの?」とかって一度も聞かれたことがない(笑)

使ってる時は皆の投稿もよく読んでたものだが、誰かがひっそり退会したとしても僕だって気が付かなかっただろう。繋がり、といってもその程度なのかも知れない。

ライブの集客にも影響無し。まあそもそもそんなにガジガシ宣伝活動をしてたわけでもないので、影響無いのも当たり前か。

上手く積極的に使えば有用なツールなんだと思うけど、取り敢えず絶対必要な物ではなかったらしい。

ちなみにインスタは続いてますが、もっぱらバイクとニャンコの写真を観るために使ってます(笑)

モノローグ

齢を重ねる毎に、自分がどうなりたいのか判らなくなるのはどうしたものか。願望もエントロピー増大の法則に則って拡散希釈してるだけのことかしら?

いま午前1時前。近くの動物園の柵の向こうから誰かの鳴き声が聴こえる。

過去というのは脳の中の記憶でしかなくて、いまこの宇宙のどこにも存在しない。だから過去、存在しないものに縛られるのはナンセンスで、実際記憶も日々都合の良いように上書きされているらしい。ただ面白いのは、生きていて出会う1つの事象も関わった人は自分一人でないことが殆どで、1つの事象が複数の人の記憶に残る事になるから、つまり、1つの出来事も複数の異なった過去になるとこ。今は一つしかないのに過去はそうじゃないんだなー。

まてよ、過去は脳の記憶だとしたら、無生物の世界で過去はどう扱われるんだろう?

また動物が鳴いた。

ヒデキさん

​歌う動機が「人が喜ぶから」であって、強烈にフラメンコに感動したからとかでは無かったりするので、時折迷う。ジャンル的な軸が、いまだに持ててない。

‌​西城秀樹さんが亡くなった。
小学4年生までの自分にとっては一番の憧れの人でした。というのも5年生になると一気に洋楽かぶれになったから歌謡曲は聴かなくなったんだけど、秀樹さんて小さい頃から洋楽の人で小3でジェフ・ベックのファンになったんだって。そしてスカウトされるまでドラマーだったのね。歌はたまたまジャズ喫茶のライブで唄ったところを拾われたらしい。

そんな経緯だから、歌手になってからはどんなモチベーションで唄ってたのかな。

ハスキーヴォイスでシャウト。思えば後に好きになったスティーブン・タイラーみたいだったねー。​歌謡界だったけど、やっぱりそういうのやりたかったんだろうね。

​さあ、自分はどうだろう。​
好きだったものをいちいち掘り起こしてみるのもいいのかな。

2018年始まる。

気が付いたら8日だ、成人の日らしいですね。

ブログ?半年書いてなかったですが、最近SNS疲れっていうやつもありブログもたまに書こうかしらん、ということで折しも今年の抱負を宣言する時期みたいなので・・・

抱負!
とは!

心の中に持っている計画・決意。(国語辞典より)

てことは

心の中にしまっておかないと抱負ではなくなる?!

なんてことはさておき、今年は

一、誰かの真似をしない、らしい。

一、やりたいことしかやらない、らしい。

‌一、なるべく笑って過ごす、らしい。

このくらいにしておこう!

All you need is love.

愛が全て、愛があれば、と生きるのはとても美しく見えるが、実際それを通そうすれば、時として辛さを連れて来ることも少なくない。
憎しみを持つ方が簡単で、楽な時もある。